4.【灘酒の発展】
江戸時代初期は伊丹、池田が酒の主産地でしたが、徐々に灘が台頭。元禄10年(1697)には64万樽が江戸に送られたとの記録が残っており、18世紀後半には、江戸積上方荷主の自主連合組織である「摂泉十二郷」の中心的存在となるまでに発展しました。
ちなみに灘・池田・伊丹は全て上方だったため、江戸に送る酒は「下り酒」と呼ばれました。つまらないものを表す“くだらない”という言葉は、良質な灘の酒と違い「(江戸に)下らないほど質の良くない酒」というのが語源だとの説があります。