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第3回「酒から生まれたことわざ・小咄」 【当日の様子】
(ウェルカムドリンクの)柳蔭は、関東では「本直し」とも呼ばれ、江戸時代には清酒同様よく飲まれていました。飲み口こそ甘いですが、アルコールは清酒よりも高く23度もあります。うるち米と米麹と水を原料に並行複発酵させて造る清酒に対し、みりんは焼酎に米麹と蒸したもち米を混ぜ、数ヶ月放置してその間に糖化を行わせ、熟成したら清酒と同じように圧搾ろ過して造ります。そして柳蔭は、みりんにさらに焼酎を加え飲用に調整したもので、その昔は井戸水で程良く冷やして楽しまれ、清酒よりも高級だと云う人もいたようです。
奈良漬の老舗として知られる高嶋酒類食品は、元々は酒造りの本場・灘で、副産物である酒粕を酒蔵から仕入れて大阪の奈良漬業者に販売する仲買問屋でした。やがて創業者が「酒粕に何らかの付加価値を付けられないものか」と粕取(かすとり)焼酎造りを思い立ち、創業年となる明治3年に焼酎の酒造免許を取得しました。ちなみに粕取焼酎とは、酒粕に含まれている5〜10%程のアルコール分を蒸して回収しこの蒸気を凝縮させて造る、独特の臭いとクセがある焼酎のこと。こうした関連性から当社は灘五郷酒造組合の古参メンバーでもある訳です。
「粕取焼酎よりも付加価値の高いものを造ろう」と、みりん造りを手がけ始めたのが明治28年のこと。やがてみりんとみりん粕、及び酒粕を混ぜ合わせると美味い奈良漬の床ができることから、明治38年より奈良漬造りをスタートさせました。ちょうどこの時期は日露戦争の勝利に国中が沸き返り、日本酒がどんどん売れたため、大量 に酒粕が産み出され値段が暴落しました。おかげで酒粕がふんだんに使えた事で味の方もまた格別 と大評判。灘の“自慢の奈良漬”として人気を集めました。そして昭和5年に「甲南漬」と命名、神戸の名産品として今日に至っています。
奈良漬は古代より粕漬として上流社会で珍重され、その歴史は1300年近くも遡ることができます。平城京の跡地で発掘された長屋王木簡にも、「粕漬瓜」と記された納品伝票らしきものがあります。なお当時の酒はどぶろくであったため、粕とは搾り粕ではなく酒の底に溜まる沈殿物を指したと思われます。その後奈良漬は、江戸時代に入り幕府への献上や奈良を訪れる旅人によって普及し、庶民に愛されるようになりました。「ほんのりと 嫁は奈良漬の 舟に酔ひ」とは、瓜漬の半切れを舟に見立てた江戸期の川柳であり、往事の食生活の一端がうかがえます。
平賀源内が広めたとも言われる「土曜の丑の日」は、暑い夏を乗り切る江戸期からの食習慣として今も定着していますが、主役の鰻を引き立てる貴重な脇役として古くからおなじみなのが奈良漬です。鰻の脂っこさを紛らわす口直しとしての役割だけでなく、体内で過剰に生成された活性酸素から細胞を守るスカベンジャー(防御機能)としての働きを備えており、また奈良漬に含まれる褐色色素メラノイジンが、乳酸菌の増殖とビタミン・ミネラルの吸収を助けてくれます。
続いては場所を座敷に移し、露の団六さんによるお笑いを一席。演目は古典落語の名作「青菜」です。内容は、長屋に住む植木屋が、出入り先の裕福な旦那に振る舞われた柳蔭と“鯉の洗い”をめぐる顛末で、豪儀なもてなしに憧れた植木屋が、友達を同じようにもてなしてカッコをつけようと奮闘するものの、安焼酎を柳蔭に、おからを鯉の洗いに見立てるなど、無理を重ねたトンチンカンなやりとりを展開。絶妙の話芸に会場は大ウケでしたが、同時に、賞味したばかりの柳蔭が噺の軸になっていたことから、リアルな体験授業となりました。
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