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酒材班がゆくvol.20スペシャル
「ヒデさんとゆく『天野酒』蔵見学ツアー
            〜秀吉の愛した銘酒を訪ねて」 PAGE2
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■蔵のたたずまいに、高まる期待感

取材当日は、午後1時に南海高野線の「河内長野」駅改札前で全員集合。そこからぶらぶらと10分弱ほど歩いて、天野酒の酒蔵へと向かいました。

「ああ〜なんかイイ雰囲気ですねぇ」

「何か、いい雰囲気だなあ」「そうですねえ」
誰ともなく声が上がります。車二台がすれ違うのがやっとの、狭い旧街道沿いに建つ蔵の外観は、いかにも歴史のある酒蔵らしいたたずまい。皆さんの胸に、蔵見学への期待感がますます高まって来たようです。

ひと通りカメラの中に景色を収めた一行は、引き戸をくぐって蔵の中へ。
当主の親族で、蔵の中心的存在として活躍されている企画室室長の西條陽三さんが、にこやかに一行をお出迎えしてくれます。

「本日はようこそお越し下さいました!ご覧の通り小さな蔵なので、見学といっても本当に蔵の中を普通に見ていただくだけなんですが、古くからの建物ならではの空気感や蔵の色のようなものを感じ取っていただければと思います」

とまずはごあいさつ。続いて天野酒の歴史について説明して下さいました。


味わいのある古びた建物が多い道のりをぶらぶらと。




蔵の正面玄関



蔵内には三輪明神の酒玉がいくつも



見学前には、蔵の歴史や原料米等について西條さんから詳しい説明が



メモを取りながら熱心に聴き入る参加者の皆さん

■「美酒言語ニ絶ス」と讃えられた酒銘
主要商品が飾られたショーウインドウ

日本酒の醸造技術がほぼ完成の域に近づいたとされる室町末期、良酒の代名詞となっていたのが、各地の寺院で造られていた「僧坊酒」でした。とりわけ河内長野にある天野山金剛寺の酒はひときわ有名で、現在の酒造りと同じ段掛法をいち早く取り入れた「天野酒」は、「天野比類無シ」「美酒言語ニ絶ス」などと絶賛され、当時の名だたる英雄がこぞって愛飲したとのことです。

秀吉が天野山金剛寺に下付した朱印状の複製

とりわけ「天野酒」を愛したのが太閤秀吉。たびたび使者を派遣しては酒を買い求め、ついには良酒醸造に専念することを命じた朱印状を下付した程。ちなみにその朱印状は、今も金剛寺宝物館に展示保存されています。

ただ、やがて時が過ぎ、「天野酒」は江戸期の中頃には造られなくなって、由緒ある酒銘も長きにわたってこの世から姿を消していたのですが・・。

「何とかこの酒銘を復活させたいとのお話が盛り上がり、昭和46年に私どもが、天野山金剛寺のご好意と地元の皆様のお力添えをいただき、「天野酒」を復活させることになったのです。私ども西條蔵も1718年創醸の古い蔵で、明治末期までは「三木正宗」、以後は「波之鶴」の銘柄で親しまれていましたが、今では天野酒一本で通すようになりました」

なるほど、「秀吉も愛した銘酒」のキャッチフレーズの裏には、こうした経緯があったのですね。


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